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2006/06/26//Mon * 18:29
●○愛することを恐れるべきでない私、愛されていることに気づくべき私

愛することを恐れるべきでない私、愛されていることに気づくべき私 愛することを恐れるべきでない私、愛されていることに気づくべき私
豊川 悦司 (2003/09)
マガジンハウス

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ん?エッセイか?と思ったら小説だった。
通常、ネット小説という類のものは大嫌いで、いくらいい話だと騒がれても『電車男』も
どうしても読む気になれない。(ちょっと立ち読みしてがんばってみたのだが、
どうにもこうにも読みづらい) メールも、どちらかといえば情報伝達とあとは軽い話題ぐらいの目的で使用したほうがいいと思っているので、
メールで愛を語り合うことには、基本的に反対だ。
メールを愛の意思疎通にしているカップルの皆さんには申し訳ないが、
心のどこかで「メールで愛を語るようになったら世も末だ」などと蔑んでいる節がある。
だからそんな「愛の言葉」がメールで織り成され、小説に!などという一連の流れは、
私にとって天敵のはずである。本来ならば…。

悔しいことに、驚くことに、この小説は限りなく「美しい」のである。
もちろん小説として故意にメールの形を取っているのであって、ある程度は計算しているだろう。
しかし、こんなに美しい愛の言葉の数々が、メール形式で表されているとは…。
男は、心底女を愛していたし、また女も男を愛していたのだろう。
そんな中で、いつしか自然と、二人の愛は終わってゆく。
燃えるような愛と、消え入るような愛のどちらもが、この小説では描かれている。
愛が終わったとき、まるで男が消えていくような儚さを感じた。
男は、メールの送信者としてしかこの本の中に存在していなかったのだから。

先程、言葉が美しいと述べたが、美しいと感じた要因は物理的にもいくつかあると思う。
まず一つ目に、本としての活字になったこと。
ブラウザ上で表示される文字では、ここまでの美しさは出せなかったように思う。
二つ目に、タテ書きであること。
日本語の美しさは、やはりこういうときによく出る。
ヨコ書きだと、これもまたここまでの美しさは出せなかったように思う。
それから、余白の使い方が効果的であること…などなどだ。
とにかくこの小説は、とても美しいメール小説だと思っている。

追記:のちに「電車男」は読みました。けっこう面白かった


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