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2006/06/26//Mon * 19:48
●○ブラック・ジャックはどこにいる?

ブラック・ジャックはどこにいる?―ここまで明かす医療の真実と名医の条件 ブラック・ジャックはどこにいる?―ここまで明かす医療の真実と名医の条件
南淵 明宏 (2006/01)
PHP研究所

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医学にとりわけ興味があるわけではないけれど、無関心なわけでもない。
私と同じように、そう感じている人は意外と多いのではないだろうか。
“ちょっと気になる”医学界。
なぜちょっと気になるのか。自分の身体に関係があるからである。

医療ミス、薬の調合ミス・・・そんなニュースをマスコミが流すたびに、
わたしたちは不安にかられる。
もし自分だったら?
自分の身体がそんなことで機能しなくなってしまうとしたら?
そういう恐れを抱く反面、困ったときはやはり医者に頼らねばなるまい、との考えをも持つ。
だからこそ、自分がいつでも関わりうる医学界から目を離せないのだろう。

しかし医者は神様ではない。

そのことを、1人の人間としての医者の内面に大きく触れながら明かすのがこの本だ。
医者が万能でないことくらい、今はだれもが知っている。
だがいざと言うときに、本当に冷静に医者と取引を交わすのはまだまだ難しいようだ。
筆者はこう言う。
医者は商売である、と。
医者と患者との関係は、親と子との関係であってはならない、と。
患者も賢くならねばならないのだ。

この本は、医学界に関して大きく触れていることはもちろん、
執刀医としての筆者みずからが心の内を明かしている。
手術のとき、医者はどんな気持ちでいるのだろう?
少しでもそんなことを不思議に思うならば、ぜひこの本を手にとって見てほしい。

医者の気持ち。
日本の医学界。
日本の医者の立場。
物書きが職業でない筆者だからこそなのか、
難しいテーマを挙げているようでじつはとても読みやすい文章になっている。
誰にとっても分かりやすいことは保証できるだろう。

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2006/06/26//Mon * 19:47
●○THE CONFESSION OF MANY STRANGERS

  原爆を落としたパイロットを、この物語の作者は、いったいどのような人間として
描き出そうとしているのか――。その答えは、一言で述べられるものではない。
また、戦争そして原爆投下についてしばしば議論されるような、善と悪との二元論的な
話でもない。少なくとも主人公のパイロットは、ひとえにこのような人物だと
言い切るにはあまりに多面性をもった人物として描かれている。

  そもそもこうしてこのパイロットが話の主人公となったのも、
彼が原爆を投下した人物だからである。だからではあるが、
作者は単に原爆を投下したときの彼の心情や、そのとき彼をとりまいていた
関係についてのみ描写したかったのではない。もしそうだとすれば、
彼の幼少時代を描く必要は無かったからだ。彼はのちに、歴史的にいえば
「原爆を投下した人物」として知られるようになる。人々はそうして彼を知るが、
それは飽くまで一片の歴史的事実としての彼の一部でしかありえない。
人々にとって、歴史的なそのパイロットは、原爆投下が行われた瞬間に生まれたことになる。
しかし実際はそうではない。彼は(勿論だが)、そのずっと前から生まれていた。
これは所詮結果から導き出された思考にすぎないのかもしれないが、
彼が原爆投下のパイロットとなったのは、まるで定められていた運命かのようにも思える。
はじめ彼はたくさんの選択肢を持っていたに違いない。医者になる道もあった。
あるいはそれを拒んでも、若いうちは何の職種にだってなれる可能性はあっただろう。
パイロットを夢見ても、別段戦争に関与することを夢見たわけではない。
況や原爆投下に関与することをや。
彼にははじめ、何本もの分かれ道があった。その真ん中に彼は立っていた。
そのうち一本を選択し、彼は進んだ。次に出会った分かれ道は十字路となり、
次第に、出会う道の数は3本、2本…と減っていった。
いつのまにか、彼には一本の道しかなくなっていた。その道幅も狭くなり、
ついには彼を迎え撃つ運命に目を背けることさえできない状況になる。
幼い頃からの彼の姿が描かれたこの話の流れからは、そのような印象を受けた。
彼には、選択の余地はあるようでなかったのだ、多くの分かれ道のなかで、
彼が選んでいった一本一本は、哀しい必然だったのだ、と感じた。

  この話は、主人公であるパイロットが原爆を落とし、
“I throw the sun!”と叫んだところで終っている。
のちに、“I’m proud of being the pilot who dropped the bomb over Hiroshima,”
などと打ち明けている箇所もあるが、その後の心境については詳しく
述べられてはいない。投下したところできっぱりと物語を終らせるこの作者の手法は、
インパクトと充実感をもたらすだけでなく、一見完結したようにみえて、
実はかえって私たちに大きな余韻を残させる。
主人公の感情は、ラストで最も高まっている。そこで話は終わるが、
その後彼は何を思い、どのような人生を送ったのか。私たちは想像を掻き立てられる。
それをどのように推理するかは、全く誘導されておらず、
すべて私たちの想像に任されている。しかし色々と想像はしてみても、
こうだと言い切ることのできる答えが見つからないのは、作者がそれだけ主人公を、
繊細な、多面性のある人物として描いてきた結果だろう。
その複雑な人間性はしばしば文章中から読み取ることができる。
例えば、“I go to the library and see my name in the history books,
and all I’m looking at is a couple of words strung together.”
という箇所は、どことなく空虚さを感じさせ、先程の
“I’m proud of being the pilot who dropped the bomb over Hiroshima,”とは矛盾している。
また、“you come to terms with how you deal with death, especially if you’re in the military.”
と言っておきながら、ドイツ人操縦士の血を見てこうも言っている。
“Sometimes after those aerial dog-fights, I’d have night-mares.”
更に、私たちにとってこれが最も印象的な箇所の一つに入るだろうと
予測されるのが、主人公が一人の小柄な日本人女性と出会う場面である。
彼は女性に話しかけ、近づいてゆくが、女性のケロイドにまみれた
(もしくは原爆の影響を受けた酷い状態の)顔を見るなり、
“What happened to you!” “Who put you up to this? I didn’t do that to your face?”
“Stay away!” などと、彼はこれまでにないほど取り乱す。
――こういった様々な言動から、自分の役割を冷静に理解しながらも、
一方では恐怖をも抱き、そのはざまで揺れ動く彼の繊細な心を見てとることができる。

 しかし先程述べたように、彼に自分の役割あるいは自分自身に対する恐怖心があっても、
彼にはそれを押し殺してまで “I don’t regret anything!”と
言わねばならない理由があった。それは、彼が彼自身の心を守るためである。
前に、「彼のその後についてこうだと言い切ることができない」と述べたが、
無論具体的には分からないとしても、実は大きく分けて2つしか
考えられる道はないのではないかと私は勝手に考察している。
その分かれ目は、彼が彼の心を守る術を生涯持ち続けることができたか否かである。

  人間は、精神的にあまりに辛い体験をすると、脳がその記憶を閉じ込めて
二度と思い出させないようにさせることがあるという。その辛い体験の影響で、
身体が滅ぼされることを防ぐためだ。つまり自己防衛機能の一つである。
主人公も、自分のしたことを閉じ込めてしまおうとしている傾向がある。
だから図書館の本に自分の名前を見つけても、
文字の陳列にしか見えなかったのではないか。この自己防衛を施しているかぎり、
少なくとも彼にとって彼は幸福に生きることができるだろう。
しかし残念ながら彼は完全ではない。たった一人の日本人女性を見ただけで、
大声で叫び、鶴を蹴飛ばすという、明らかな身体的異常を示している。
このときのように、いやそれ以上に彼の防衛機能を邪魔するものは、
その後の生涯のなかで次々と現れるだろう。
もし彼がそれらに耐えることができなければ、それはすなわち
彼の死を意味するのではないか。原爆投下によってもたらされた惨事は、
パイロットであった彼が理解するにはあまりに酷である。
この哀しい運命を背負ったパイロットが、罪の意識に彼自身を滅ぼされることなく、
生きてゆく道があったことを刹那に願う。

  勿論作者は私たちに対して主人公への同情を求めていたのではあるまい。
しかしながら、彼をただ一人の歴史的人物として捉えるだけでなく、
彼という人間そのものに少しでも考えを及ぼすことによって多面性を理解し、
一人の人間としての彼の存在を捉えることによって、
作者の言わんとしていた部分に少しは触れることができたのではなかろうか。



2006/06/26//Mon * 19:44
●○気まずい二人

気まずい二人 気まずい二人
三谷 幸喜 (2000/02)
角川書店

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対談集であり、戯曲集であり、ドキュメンタリーでもある・・。
まさにその通りで、対談を読むことがこんなふうに二人芝居のようにおもしろおかしく、
しかもリアルな場の空気まで楽しめてしまうとは、驚いた。
途切れる会話、やりづらい間、気まずい二人・・どちらかといえば日ごろから避けたい展開かもしれない。
ドラマや芝居でもありえない。
なのに、この本では、そういったしらじらしさこそが、最大の面白さになっている。
夢中で読めた、“会話劇”だ。

もともと、三谷幸喜氏が好き、というかそんなに作品もたくさん観ていないのであつかましいことは言えないが、
彼に興味があったので手に取った本だった。
対談の相手も、桃井かおりをはじめ、興味深い人たちが幾人か出ていたので、買った。
中身がこんなに面白いとは予想していなかった・・。

しかも、途中で「アレッ?」と気づいたのだが、この対談の中には“(笑)”マークがひとつも入っていない。
普通、笑える箇所には最近たいていこの“(笑)”マークが入っている。
こんなに笑えるのに、“(笑)”ってしていないのだなぁ・・と感心しながら読んでいると、
“あとがき”でそのことについて触れてあった。
それで、わたしも自分自身を省みた。
できることなら使いたくないけれど、なんとなく盛り上がっているふうに見せるために“(笑)”を使ってしまうことがある。
それも、好きで使っているのならいいのだけれど、あんまり使いたくないのになぁ、と思いながら。
メールとかは気にしないけれど、こういう長い文章などでは、本当にそこに必要なのか考えることはよくある。
できれば、そういうものに頼らずにわたしも文章を書きたいなぁ、と改めて思った。



2006/06/26//Mon * 19:43
●○チーズはどこへ消えた?


チーズはどこへ消えた? チーズはどこへ消えた?
スペンサー ジョンソン (2000/11)
扶桑社

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話題になってから、もうずいぶん経って…今ごろ読みました(笑)。

よくできた本。すべてが教訓。全体のストーリーとしてもそうだし、細部に至るまでがそう。
すべての文が、つねに何かを象徴している。
だから、出てくる場所とかモノとかを他の何かに置き換えれば、誰でも具体的に読むことができる。
よくこれだけ、万人に通じる話を完成させたな、っていう感心をする。
書いていることはぜんぶいいことで、共感もする。正しいと思う。
この本のとおりの行動は、間違いなく実際に人を豊かにさせることだろう。こんなに「正解」ばかりの話なんて、すごい。

以上を踏まえたうえで言えば、わたしはあんまりこの本が好きになれなかった。
まず、この本のもつ姿勢というのだろうか…いかにも、教訓として提示している、というのが。
もちろんこの物語が表しているものには、大きな意味があるし価値もある。
しかしこの本は3部からなっていて、実は主題である「物語」は第2部だけ。1部と3部は、いかにこの本がすばらしいか、
いかにこの本があなたの職場や人生を変えるか…ってことを延々と述べている。
この部分は、なかったほうがよかったのではないかとわたしは思っている。
2部の物語じたいが大きな意味を持っていてインパクトもあるのに、わざわざ最初にお膳立てする必要があるのだろうか。
最後にも、この話を知って本当によかっただとか、本当にその通りだとか、褒め称えすぎて、弁護にさえ聞こえてしまった。
そんなにフォローしなくてもいい話なんだから、って思ってしまった。もちろん本当は弁護でもフォローでもないんだけれど、
なんだかあまりに称えすぎて。だから、まず第1部で「これはすばらしい話ですよ」って提示されたことは、
少なくともわたしにとっては残念なことだった。「これから書く話はとてもいい教訓だから心して読むように!」って言われて、
読んだら言われたとおりいい教訓。それは、なんだか読み手としてはつまらない展開だ。
しかも「象徴的でしかも緻密」な内容だから、そこまで提示されておくと、もう読んでいるうちに“象徴”がうっとおしくなってくる。
象徴的なものって、途中から気づくものだとわたしは思っているから。
「あ、これって、あの象徴だったんだ」とか、「これはなんだか象徴的だなぁ…」とか。
これではもう初めから「これはナニとかナニとかを象徴しています」って教えられてしまっているせいか、逆にうっとおしい。
でも、もしすべて具体的に書き表してしまったら、それはそれで問題だ。具体的なものは人によって違うから。
だから“チーズ”を使ったのは正解だと思う(やっぱり、第2部だけにしたほうがよかった)。

この本は、テキストみたいなもの。
間違ったことはひとつも書いていなくて、求めていることがすべて書かれている教科書。人生のテキスト。
だけど、このテキストを暗記したからって、幸せになれるものじゃない。
要は実際に自分が変わらなくちゃね。第3部では、「この話を読んで自分が変わった」とか、「自分が変われそうな気がするわ」
とかいうフレーズがたくさん出てくるけれど、本当は自分が変わるのはそんなに楽なことじゃないと思う。
きっと、この本を読んで“変わった”人は、この本を読む前からもうすでに“変わりかけていた”人なのだと思う。
だけど、長いこと変われない人が、変わろうとするキッカケには、なるかもしれない。

それから、この本は、日本で書かれたものじゃないけれど、日本じゃゼッタイこの本はできない(笑)!
もしこれとおんなじ話を書く人がいても、出版はなかなかできない気がするし、
話の中でも3部でも、“ヘム”をこれだけボロクソに書く書き方はしなかっただろうと思う。
いい影響力もあるかもしれないけれど、いろいろ“強い”本だから。
濃い味付けの洋食って感じ。なんだか“文化”を感じた本でもあった。



2006/06/26//Mon * 19:42
●○美しいこと

美しいこと 美しいこと
AJICO (2001/01/24)
ビクターエンタテインメント

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昔、Blankey Jet CityのSaturday Nightという曲が好きで、この曲もその繋がりで買ってみた。
すると、すばらしかった…!いい音楽ってこういうことをいうんだなぁ・・。もう才能だ。
まるでクラシックとか、歴史的な音楽を聴いているような気分になるくらい偉大。
サビに入るところの、“僕には見える”のフレーズ。ここでいつも鳥肌が立つ。極上のハモリ。



2006/06/26//Mon * 19:41
●○Voyage

DEEP SOUND CHANNEL DEEP SOUND CHANNEL
篠原ともえ (1999/11/25)
ワーナーミュージック・ジャパン

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壮大でいながら繊細。
海のようでもあり、空のようでもある。大人の女の色もあれば、はかなさもある。
第一印象は“落ち着いた曲”。
でも聴けば聴くほど曲の良さがじんわりと染み出してくる。
曲調は、どこか民族的でもあって、素敵。



2006/06/26//Mon * 19:39
●○ウソツキ

ウソツキ ウソツキ
Something ELse (2000/02/16)
東芝EMI

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はじめてテレビで聴いた日から、ずっと好きな曲。
詞と音と声、すべてが完璧に切ない。
あまりに感情を揺さぶられたので、この曲のイメージで詩を書いてしまったほど。



2006/06/26//Mon * 19:38
●○こいのうた

こいのうた こいのうた
GO!GO!7188 (2000/10/25)
東芝EMI

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すばらしい曲!
切なさを強くうったえてくる。ふたりの歌唱力がバツグンで、よく伸びる声が印象的。
難しい言葉は一切用いていないのに、一文字一文字に力を感じる。
かなりゆっくりした曲なので、歌唱力のない人が歌ってしまうと
ダラダラした印象になるかもしれないほど、実力をみせつけている一曲。



2006/06/26//Mon * 19:36
●○月の日付

異花 異花
螢 (2000/12/09)
ファンハウス

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タイトルも、詩も、この時期の蛍の曲のなかでは、少し違った印象。
使われている言葉もやさしいものが多い。彼女の多面性がうかがえる曲。



2006/06/26//Mon * 19:25
●○Wonderful Life

Wonderful Life Wonderful Life
&G (稲垣吾郎) (2004/03/10)
ビクターエンタテインメント

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声がすごくよくて、あたたかな曲。メロディーもきれいだし、
詞がいい!ほどよく論理的な言い回しに、惹き込まれます。


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