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2006/06/26//Mon * 19:48
●○ブラック・ジャックはどこにいる?

ブラック・ジャックはどこにいる?―ここまで明かす医療の真実と名医の条件 ブラック・ジャックはどこにいる?―ここまで明かす医療の真実と名医の条件
南淵 明宏 (2006/01)
PHP研究所

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医学にとりわけ興味があるわけではないけれど、無関心なわけでもない。
私と同じように、そう感じている人は意外と多いのではないだろうか。
“ちょっと気になる”医学界。
なぜちょっと気になるのか。自分の身体に関係があるからである。

医療ミス、薬の調合ミス・・・そんなニュースをマスコミが流すたびに、
わたしたちは不安にかられる。
もし自分だったら?
自分の身体がそんなことで機能しなくなってしまうとしたら?
そういう恐れを抱く反面、困ったときはやはり医者に頼らねばなるまい、との考えをも持つ。
だからこそ、自分がいつでも関わりうる医学界から目を離せないのだろう。

しかし医者は神様ではない。

そのことを、1人の人間としての医者の内面に大きく触れながら明かすのがこの本だ。
医者が万能でないことくらい、今はだれもが知っている。
だがいざと言うときに、本当に冷静に医者と取引を交わすのはまだまだ難しいようだ。
筆者はこう言う。
医者は商売である、と。
医者と患者との関係は、親と子との関係であってはならない、と。
患者も賢くならねばならないのだ。

この本は、医学界に関して大きく触れていることはもちろん、
執刀医としての筆者みずからが心の内を明かしている。
手術のとき、医者はどんな気持ちでいるのだろう?
少しでもそんなことを不思議に思うならば、ぜひこの本を手にとって見てほしい。

医者の気持ち。
日本の医学界。
日本の医者の立場。
物書きが職業でない筆者だからこそなのか、
難しいテーマを挙げているようでじつはとても読みやすい文章になっている。
誰にとっても分かりやすいことは保証できるだろう。

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2006/06/26//Mon * 19:47
●○THE CONFESSION OF MANY STRANGERS

  原爆を落としたパイロットを、この物語の作者は、いったいどのような人間として
描き出そうとしているのか――。その答えは、一言で述べられるものではない。
また、戦争そして原爆投下についてしばしば議論されるような、善と悪との二元論的な
話でもない。少なくとも主人公のパイロットは、ひとえにこのような人物だと
言い切るにはあまりに多面性をもった人物として描かれている。

  そもそもこうしてこのパイロットが話の主人公となったのも、
彼が原爆を投下した人物だからである。だからではあるが、
作者は単に原爆を投下したときの彼の心情や、そのとき彼をとりまいていた
関係についてのみ描写したかったのではない。もしそうだとすれば、
彼の幼少時代を描く必要は無かったからだ。彼はのちに、歴史的にいえば
「原爆を投下した人物」として知られるようになる。人々はそうして彼を知るが、
それは飽くまで一片の歴史的事実としての彼の一部でしかありえない。
人々にとって、歴史的なそのパイロットは、原爆投下が行われた瞬間に生まれたことになる。
しかし実際はそうではない。彼は(勿論だが)、そのずっと前から生まれていた。
これは所詮結果から導き出された思考にすぎないのかもしれないが、
彼が原爆投下のパイロットとなったのは、まるで定められていた運命かのようにも思える。
はじめ彼はたくさんの選択肢を持っていたに違いない。医者になる道もあった。
あるいはそれを拒んでも、若いうちは何の職種にだってなれる可能性はあっただろう。
パイロットを夢見ても、別段戦争に関与することを夢見たわけではない。
況や原爆投下に関与することをや。
彼にははじめ、何本もの分かれ道があった。その真ん中に彼は立っていた。
そのうち一本を選択し、彼は進んだ。次に出会った分かれ道は十字路となり、
次第に、出会う道の数は3本、2本…と減っていった。
いつのまにか、彼には一本の道しかなくなっていた。その道幅も狭くなり、
ついには彼を迎え撃つ運命に目を背けることさえできない状況になる。
幼い頃からの彼の姿が描かれたこの話の流れからは、そのような印象を受けた。
彼には、選択の余地はあるようでなかったのだ、多くの分かれ道のなかで、
彼が選んでいった一本一本は、哀しい必然だったのだ、と感じた。

  この話は、主人公であるパイロットが原爆を落とし、
“I throw the sun!”と叫んだところで終っている。
のちに、“I’m proud of being the pilot who dropped the bomb over Hiroshima,”
などと打ち明けている箇所もあるが、その後の心境については詳しく
述べられてはいない。投下したところできっぱりと物語を終らせるこの作者の手法は、
インパクトと充実感をもたらすだけでなく、一見完結したようにみえて、
実はかえって私たちに大きな余韻を残させる。
主人公の感情は、ラストで最も高まっている。そこで話は終わるが、
その後彼は何を思い、どのような人生を送ったのか。私たちは想像を掻き立てられる。
それをどのように推理するかは、全く誘導されておらず、
すべて私たちの想像に任されている。しかし色々と想像はしてみても、
こうだと言い切ることのできる答えが見つからないのは、作者がそれだけ主人公を、
繊細な、多面性のある人物として描いてきた結果だろう。
その複雑な人間性はしばしば文章中から読み取ることができる。
例えば、“I go to the library and see my name in the history books,
and all I’m looking at is a couple of words strung together.”
という箇所は、どことなく空虚さを感じさせ、先程の
“I’m proud of being the pilot who dropped the bomb over Hiroshima,”とは矛盾している。
また、“you come to terms with how you deal with death, especially if you’re in the military.”
と言っておきながら、ドイツ人操縦士の血を見てこうも言っている。
“Sometimes after those aerial dog-fights, I’d have night-mares.”
更に、私たちにとってこれが最も印象的な箇所の一つに入るだろうと
予測されるのが、主人公が一人の小柄な日本人女性と出会う場面である。
彼は女性に話しかけ、近づいてゆくが、女性のケロイドにまみれた
(もしくは原爆の影響を受けた酷い状態の)顔を見るなり、
“What happened to you!” “Who put you up to this? I didn’t do that to your face?”
“Stay away!” などと、彼はこれまでにないほど取り乱す。
――こういった様々な言動から、自分の役割を冷静に理解しながらも、
一方では恐怖をも抱き、そのはざまで揺れ動く彼の繊細な心を見てとることができる。

 しかし先程述べたように、彼に自分の役割あるいは自分自身に対する恐怖心があっても、
彼にはそれを押し殺してまで “I don’t regret anything!”と
言わねばならない理由があった。それは、彼が彼自身の心を守るためである。
前に、「彼のその後についてこうだと言い切ることができない」と述べたが、
無論具体的には分からないとしても、実は大きく分けて2つしか
考えられる道はないのではないかと私は勝手に考察している。
その分かれ目は、彼が彼の心を守る術を生涯持ち続けることができたか否かである。

  人間は、精神的にあまりに辛い体験をすると、脳がその記憶を閉じ込めて
二度と思い出させないようにさせることがあるという。その辛い体験の影響で、
身体が滅ぼされることを防ぐためだ。つまり自己防衛機能の一つである。
主人公も、自分のしたことを閉じ込めてしまおうとしている傾向がある。
だから図書館の本に自分の名前を見つけても、
文字の陳列にしか見えなかったのではないか。この自己防衛を施しているかぎり、
少なくとも彼にとって彼は幸福に生きることができるだろう。
しかし残念ながら彼は完全ではない。たった一人の日本人女性を見ただけで、
大声で叫び、鶴を蹴飛ばすという、明らかな身体的異常を示している。
このときのように、いやそれ以上に彼の防衛機能を邪魔するものは、
その後の生涯のなかで次々と現れるだろう。
もし彼がそれらに耐えることができなければ、それはすなわち
彼の死を意味するのではないか。原爆投下によってもたらされた惨事は、
パイロットであった彼が理解するにはあまりに酷である。
この哀しい運命を背負ったパイロットが、罪の意識に彼自身を滅ぼされることなく、
生きてゆく道があったことを刹那に願う。

  勿論作者は私たちに対して主人公への同情を求めていたのではあるまい。
しかしながら、彼をただ一人の歴史的人物として捉えるだけでなく、
彼という人間そのものに少しでも考えを及ぼすことによって多面性を理解し、
一人の人間としての彼の存在を捉えることによって、
作者の言わんとしていた部分に少しは触れることができたのではなかろうか。



2006/06/26//Mon * 19:44
●○気まずい二人

気まずい二人 気まずい二人
三谷 幸喜 (2000/02)
角川書店

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対談集であり、戯曲集であり、ドキュメンタリーでもある・・。
まさにその通りで、対談を読むことがこんなふうに二人芝居のようにおもしろおかしく、
しかもリアルな場の空気まで楽しめてしまうとは、驚いた。
途切れる会話、やりづらい間、気まずい二人・・どちらかといえば日ごろから避けたい展開かもしれない。
ドラマや芝居でもありえない。
なのに、この本では、そういったしらじらしさこそが、最大の面白さになっている。
夢中で読めた、“会話劇”だ。

もともと、三谷幸喜氏が好き、というかそんなに作品もたくさん観ていないのであつかましいことは言えないが、
彼に興味があったので手に取った本だった。
対談の相手も、桃井かおりをはじめ、興味深い人たちが幾人か出ていたので、買った。
中身がこんなに面白いとは予想していなかった・・。

しかも、途中で「アレッ?」と気づいたのだが、この対談の中には“(笑)”マークがひとつも入っていない。
普通、笑える箇所には最近たいていこの“(笑)”マークが入っている。
こんなに笑えるのに、“(笑)”ってしていないのだなぁ・・と感心しながら読んでいると、
“あとがき”でそのことについて触れてあった。
それで、わたしも自分自身を省みた。
できることなら使いたくないけれど、なんとなく盛り上がっているふうに見せるために“(笑)”を使ってしまうことがある。
それも、好きで使っているのならいいのだけれど、あんまり使いたくないのになぁ、と思いながら。
メールとかは気にしないけれど、こういう長い文章などでは、本当にそこに必要なのか考えることはよくある。
できれば、そういうものに頼らずにわたしも文章を書きたいなぁ、と改めて思った。



2006/06/26//Mon * 19:43
●○チーズはどこへ消えた?


チーズはどこへ消えた? チーズはどこへ消えた?
スペンサー ジョンソン (2000/11)
扶桑社

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話題になってから、もうずいぶん経って…今ごろ読みました(笑)。

よくできた本。すべてが教訓。全体のストーリーとしてもそうだし、細部に至るまでがそう。
すべての文が、つねに何かを象徴している。
だから、出てくる場所とかモノとかを他の何かに置き換えれば、誰でも具体的に読むことができる。
よくこれだけ、万人に通じる話を完成させたな、っていう感心をする。
書いていることはぜんぶいいことで、共感もする。正しいと思う。
この本のとおりの行動は、間違いなく実際に人を豊かにさせることだろう。こんなに「正解」ばかりの話なんて、すごい。

以上を踏まえたうえで言えば、わたしはあんまりこの本が好きになれなかった。
まず、この本のもつ姿勢というのだろうか…いかにも、教訓として提示している、というのが。
もちろんこの物語が表しているものには、大きな意味があるし価値もある。
しかしこの本は3部からなっていて、実は主題である「物語」は第2部だけ。1部と3部は、いかにこの本がすばらしいか、
いかにこの本があなたの職場や人生を変えるか…ってことを延々と述べている。
この部分は、なかったほうがよかったのではないかとわたしは思っている。
2部の物語じたいが大きな意味を持っていてインパクトもあるのに、わざわざ最初にお膳立てする必要があるのだろうか。
最後にも、この話を知って本当によかっただとか、本当にその通りだとか、褒め称えすぎて、弁護にさえ聞こえてしまった。
そんなにフォローしなくてもいい話なんだから、って思ってしまった。もちろん本当は弁護でもフォローでもないんだけれど、
なんだかあまりに称えすぎて。だから、まず第1部で「これはすばらしい話ですよ」って提示されたことは、
少なくともわたしにとっては残念なことだった。「これから書く話はとてもいい教訓だから心して読むように!」って言われて、
読んだら言われたとおりいい教訓。それは、なんだか読み手としてはつまらない展開だ。
しかも「象徴的でしかも緻密」な内容だから、そこまで提示されておくと、もう読んでいるうちに“象徴”がうっとおしくなってくる。
象徴的なものって、途中から気づくものだとわたしは思っているから。
「あ、これって、あの象徴だったんだ」とか、「これはなんだか象徴的だなぁ…」とか。
これではもう初めから「これはナニとかナニとかを象徴しています」って教えられてしまっているせいか、逆にうっとおしい。
でも、もしすべて具体的に書き表してしまったら、それはそれで問題だ。具体的なものは人によって違うから。
だから“チーズ”を使ったのは正解だと思う(やっぱり、第2部だけにしたほうがよかった)。

この本は、テキストみたいなもの。
間違ったことはひとつも書いていなくて、求めていることがすべて書かれている教科書。人生のテキスト。
だけど、このテキストを暗記したからって、幸せになれるものじゃない。
要は実際に自分が変わらなくちゃね。第3部では、「この話を読んで自分が変わった」とか、「自分が変われそうな気がするわ」
とかいうフレーズがたくさん出てくるけれど、本当は自分が変わるのはそんなに楽なことじゃないと思う。
きっと、この本を読んで“変わった”人は、この本を読む前からもうすでに“変わりかけていた”人なのだと思う。
だけど、長いこと変われない人が、変わろうとするキッカケには、なるかもしれない。

それから、この本は、日本で書かれたものじゃないけれど、日本じゃゼッタイこの本はできない(笑)!
もしこれとおんなじ話を書く人がいても、出版はなかなかできない気がするし、
話の中でも3部でも、“ヘム”をこれだけボロクソに書く書き方はしなかっただろうと思う。
いい影響力もあるかもしれないけれど、いろいろ“強い”本だから。
濃い味付けの洋食って感じ。なんだか“文化”を感じた本でもあった。



2006/06/26//Mon * 19:42
●○美しいこと

美しいこと 美しいこと
AJICO (2001/01/24)
ビクターエンタテインメント

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昔、Blankey Jet CityのSaturday Nightという曲が好きで、この曲もその繋がりで買ってみた。
すると、すばらしかった…!いい音楽ってこういうことをいうんだなぁ・・。もう才能だ。
まるでクラシックとか、歴史的な音楽を聴いているような気分になるくらい偉大。
サビに入るところの、“僕には見える”のフレーズ。ここでいつも鳥肌が立つ。極上のハモリ。



2006/06/26//Mon * 19:41
●○Voyage

DEEP SOUND CHANNEL DEEP SOUND CHANNEL
篠原ともえ (1999/11/25)
ワーナーミュージック・ジャパン

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壮大でいながら繊細。
海のようでもあり、空のようでもある。大人の女の色もあれば、はかなさもある。
第一印象は“落ち着いた曲”。
でも聴けば聴くほど曲の良さがじんわりと染み出してくる。
曲調は、どこか民族的でもあって、素敵。



2006/06/26//Mon * 19:39
●○ウソツキ

ウソツキ ウソツキ
Something ELse (2000/02/16)
東芝EMI

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はじめてテレビで聴いた日から、ずっと好きな曲。
詞と音と声、すべてが完璧に切ない。
あまりに感情を揺さぶられたので、この曲のイメージで詩を書いてしまったほど。



2006/06/26//Mon * 19:38
●○こいのうた

こいのうた こいのうた
GO!GO!7188 (2000/10/25)
東芝EMI

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すばらしい曲!
切なさを強くうったえてくる。ふたりの歌唱力がバツグンで、よく伸びる声が印象的。
難しい言葉は一切用いていないのに、一文字一文字に力を感じる。
かなりゆっくりした曲なので、歌唱力のない人が歌ってしまうと
ダラダラした印象になるかもしれないほど、実力をみせつけている一曲。



2006/06/26//Mon * 19:36
●○月の日付

異花 異花
螢 (2000/12/09)
ファンハウス

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タイトルも、詩も、この時期の蛍の曲のなかでは、少し違った印象。
使われている言葉もやさしいものが多い。彼女の多面性がうかがえる曲。



2006/06/26//Mon * 19:25
●○Wonderful Life

Wonderful Life Wonderful Life
&G (稲垣吾郎) (2004/03/10)
ビクターエンタテインメント

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声がすごくよくて、あたたかな曲。メロディーもきれいだし、
詞がいい!ほどよく論理的な言い回しに、惹き込まれます。



2006/06/26//Mon * 19:22
●○電信柱と食卓(二つの時間)

『この道はいつか来た道』(く☆す)
別役実さん・・実は私、この人知りませんでした。
でも、演劇に関わっている人は必ず知っているといってもいいほど有名な劇作家みたいです。
他にも犯罪心理学の本を出していたり、今年のセンター試験で評論として
ちょうど取り上げられていたようで、ネットで少し調べるだけでかなりの情報が得られました。
この『この道はいつか来た道』という戯曲は95年に初演されてから
多くのいろんな劇団だったり芝居人だったりが上演していて、
いわば王道の作品らしい。
セットもほぼ決まっているらしく、ほかの劇団が上演した写真を見てみると
今回とまるでソックリでやや驚いた。

そんなわけで、こんな定評のある戯曲だとは知らなかったわけだけれど
観劇しているときから「何やら本がすごいな・・」という印象は受けた。
(冒頭あたりでは、何となく井上ひさしか星新一のようだと思った)
最後まで観劇を終えて、やっぱり本がいいな、と思った。

いや、もちろん、お芝居も良かったんだけれど・・。
何度かお目にかかったことのある役者さん2人で、
その人たちが実際に演技されているところを初めて観たのだから
それなりに驚きがあり、新鮮だった。
演技もよかった。
掛け合いも面白かった。
何より役者さんが本当に生き生きしていて、それがすごくよかった。

ああいう夫婦になりたいなぁ。。と思わせてくれたのは
やっぱり脚本の良さだけじゃなくて役者さんのおかげだったと思う。
ああいうご主人だったら幸せだろうなぁ、と思ってしまった。

『Lunch』(ケイタケイ’sムービングアース)
構成、衣装、メイク、振付、よかったと思う。
地元じゃなかなか見られないような面白いもので、なんだか得した気分だ。

ちょっと分からなかったのは、台詞は必要だったのかな・・?
台詞の言い方などが変に鼻についてしまったのもあるし、
とくに効果的とも思えない台詞もあったし・・
もう少し、言葉を選ぶか、言い方を工夫するか、などをしないと
それまで演劇を観てきて台詞をたっぷり聞いているわけだから
わざわざダンスに台詞を入れる必要性がかえって薄く感じられてしまう気がするのだけれど。

ダンサーの起用も、もっと選べば、もっともっといい作品になった印象を受けた。
1人のダンサーの癖が、よくない意味で目立ってしまった。
男性ダンサー2人はとてもすばらしかった。
洗練されていて、空間が締まる。
女性ダンサーたちは、もう少々何か足りない気がしてしまった。
3人セット、というのも互いに影響しあってその印象を助長させていたかもしれない。

ともかく、作品としては好きだったけれどあと一歩何か足りなかったと感じた『Lunch』でした。




2006/06/26//Mon * 19:20
●○踊りに行くぜ!!Vol.6 (10月7日公演)

オーディションは観に行ったことがあったけど、正式な『踊りに行くぜ!!』公演は初めて。
オーディション公演は\500で入れるので「今回もそのくらいかな~」と勝手に思っていたら
一般前売\2000だった。大学生なので\1500で入れたけど。
でも、\2000でも安い!もっと出してもいい、そう思える公演だった。
出演者は5組。休憩を入れて2時間の上演。
とりあえず、それぞれについて感じたことを。

『LV4』(松山男組)
4人が舞台上を歩き回る冒頭部分、そのときから雰囲気は並ではなかった。
すでに振付師の力が感じられた。
彼らが交差し合って歩き続けるうちに、不思議な気分にとらわれた。
誰かと誰かがすれ違う瞬間に、胸が高鳴るようになった。
一瞬も目を離すことのできない緊張感があった。
歩きの部分はかなり長かったが、「いつまでやるんだろう」と思う前に
見事に切り替えてみせた。
それは他の部分でも同じことで、すべてにおいて飽きさせず、
とにかく次から次へと新しいものを出してみては目線を釘付けにさせた。
終始振付師の凄さを感じさせられた。
4人の出演者も、振付の意図を充分に汲み取り、なおかつ“自分で”踊っていたように思う。
ダンスにおいては女性の肉体こそが最も美しい、と私は思っていた。
だが同じように男性の肉体も美しいものだということを初めて感じた。
はじめに服を脱ぎ始めたときはその必要性がわからなかったが、
(むしろそういう振付は多く、私はそれがあまり好きではないので
「またか」とさえ感じた)
中盤から終盤にかけて、裸体でなくてはならない意味がしっかりと見て取れた。
裸で彼らの動く姿の美しさ。
また、強く感じたのは照明の効果である。
とくに序盤は照明ありきのシーンだった。
音響も照明もフルに活用されており、とにかく手が込んでいた。


『零レユク』(砂金範子)
これも照明、そして小道具が効果的だった。
ダンスで小道具を出すのはなかなか難易度が高いと私は思う。
出したからには使わないといけないし、使い方によっては
「出した意味があったのか」「なくてもよかったんじゃないか」と非難されることも多い。
途中で小道具のもつ意味が失われることもあり、
小道具を使った振付はほんとうに難しいと私は感じる。
そんな中、ここで使われた椅子の効果的だったこと。
椅子といっても、どんな椅子でも良かったのではなく、
形・重さ・幅・背丈・デザイン・背もたれ、すべてがその椅子でなくてはいけなかったのだ。
それだけ、彼女が「その」椅子を生かしていた。
同時に、椅子も彼女を生かしていた。
その相乗効果のせいか、彼女と椅子が同じくらい大きな存在感を持っていた。
彼女の動きは豊かで、インスピレーションを刺激された。
やっていることの一つ一つは、どこかで一度は見たような動きなのだが、
組み合わせが独特なのか、「次はこういくだろう」という予想を常に裏切られる。
なので面白く、また想像することが楽しくなってくる。


『アニメカ』(ホナガヨウコ)
とにかく新鮮。
「ダンス」という定義の幅を感じさせられた。
踊り手に対する興味といえば、このダンサーがダントツだ。
普段の彼女はどんな人なんだろう?と興味が湧き上がってやまない。
そのくらい彼女は魅力的だった。
くるくる変わるのは、動きはもちろん、顔の表情も。
声を出してみたり、ヒーローぶってみたり。
スライドも、一部分だけにもかかわらず空気感を損ねることなく使われていて感心した。
ダンスを観ているというよりは、彼女の部屋を覗いている感じ。
ホナガヨウコというダンサーによって演じられた彼女の日常を見ている感じだった。
そこに徹していたところも良かったと思う。
もちろん彼女自身はもっと他の動きもできるだろうし、ダンサーっぽく踊ることも可能だろう。
だけどそこをあえて出さなかったところがこの作品をより良くしているのだと思う。


『Swing Spot』(山田知美)
この作品が正式な場で発表されるのを観るのは、これで三度目になる。
最初の二度目までは、実は1年ほど前のことになるが、
そのときに受けた印象とは随分変わっており、工夫が感じられた。
だが前のほうが私は好きだ。
そう思うのが振付のせいなのか、今日の踊りのせいなのか分からない。
だが前のほうがガンガンとこちらに向かってくるものがあった。
舞台との距離は今日のほうが何倍も近いのに。
印象が変わったといったが、少し毒が入った気がする。
もちろんそれは構わないし、どんどん変化し続ける作品であってほしいと願う。
残念だったのは、彼女のダンサーとしての魅力が充分に表現されなかったことだ。
髪を生かした振りだったが、少しそこに固執しすぎてはいなかったか。
制約もいいがそこから解き放たれる瞬間も見たかった。
彼女の肉体はとても魅力的である。
線の柔らかさが、柔軟な動きにつながる。
人の身体は自由自在なのだとさえ錯覚するのだ。
そう感じられる瞬間がもう少し欲しかった、というのが正直な感想だ。


『抜粋近作短編集』(三浦宏之)
出演者のなかで一番余裕があり、落ち着いていた。
場慣れしている雰囲気は、最初からあった。
彼のやりたいようにやれた舞台だったのではないだろうか。
ただ踊り手と観客の気持ちのズレを、僅かではあるが感じてしまった。
面白い作品ではあるが、密度の濃い序盤にくらべて
後半はもう少しどこか省かれてもいいように思った。
序盤はとても面白い。
二本の足の位置を動かさずに、10分ものあいだ人を飽きさせない踊りができる。
すばらしい力だと思う。
表現のノウハウを知っているのは彼がダントツだ。
だが悟りすぎているあまりか、芯から訴えかけるという面では欠けていたと思う。
面白いのもいいが、次はもっと自分と向き合った作品が観てみたい。



2006/06/26//Mon * 19:17
●○KING OF MYPACE~あいつらやっぱりぶっ殺す~(劇団瀬戸内弱小部)

なんなんだろう?なぜなんだろう??ストーリーは面白いのに。。。いまひとつ!と感じるのは・・・。

単純なことだけど、せりふが聞き取りづらい役者が2、3人いた。
がんばって聞き取ろうとすると、余分なエネルギーを使う。
滑舌がよければいいってものじゃあないのかもしれないけれど、
聞き取りやすければとりあえずは安心して観られる。

そういったひいき目もあって、聞き取りやすく、キャラ上ニコニコしていて
お上品な役者さんに目がいった。
彼女が残虐殺人犯、と発覚するところは、
いちばんギャップがあったし面白かった。
だからそれ自体が作り話、という新たな設定があらわれたとき
少しがっかりした。
本当に彼女が殺人犯っていう設定なら面白いのにー。

そうは言っても、それじゃ設定が一重薄くなっちゃうからね。

衣装には部分的に疑問を感じるところがあったけど、
全体的にはまあ飽きずに見られたほうかな。
途中、こっちもそろそろ疲れてきたところで
新たに何かが発覚するのでその場しのぎになったというか。

「あいつらやっぱりぶっ殺す」と言って終わったのはよかったけど
タイトルのこのKING OF MYPACEってちょっとセンスないんでないかい?
芝居の内容とこのタイトルとの関連性もよくわからないし。

考えようによっちゃあいろいろと考えられる。
でもそこまで観客ってタイトルについて考察しないもんでしょう・・?



2006/06/26//Mon * 19:16
●○時には父のない子のように(Team申)

このタイトル、好き。
はじめこのタイトルを見たとき、あっ、いいのつけてるな~って思って。
でも、どこか哀愁漂ってるというかちょっと抽象的でしょう?
芝居の内容はお笑い芸人の話、とか書いてあるし
どういう舞台なんだろう?タイトル負けしないのかなぁ・・なんて
余計な心配してました。が、
見事お芝居の雰囲気がこの言葉にぎゅっと凝縮されてました。スバラシイ。

佐藤隆太って、CMとかで流れてたらチャンネルかえちゃうくらい
見かけに関してあまりいい印象を持っていなかったけれど、
今回でイヤじゃなくなったなー。舞台観たおかげ。ありがとう。

驚いたのは演技の自然さ。二人ともに言えることだけど。
舞台で、あんな自然な演技ができるんだねぇ。。
その分、声はちょっとばかり小さめだったかもしれない。
それってどうなんだろ、演技の仕方と関係があるのかな。
ダウンタウンの松本人志が、映画評論してる自身の本の中で、
素に近い演技ほど難しい、って言ってて。
その理由は役者は腹でしゃべるけど素人はのどでしゃべるから、って。
だったら舞台の場合とくに、腹でしゃべりつつ演技は素で、ってなると一番難しいじゃんねぇ。
まあ「素」という言い方が適切かどうかは別にして。

で、ホントよかったわ。この舞台。
うまい。
大きな感動の波がくるとか、そういうんではないが・・。
すごーく自然な流れがあって、会話があって、
その中でところどころに効果的な演出がある。
だから惹きこまれるし、飽き飽きしないのかなぁ。
舞台上に屋上が作られているのではなくて、
屋上がそこにあるって感じがしたなぁ。。。
で、大きな感動というのがない分、
主人公の心の流れっていうのがすごく見える。
せりふがなくても、だよ?
すんごい繊細な表現をやってのけてる佐々木蔵之介ってやっぱすごいかも。
でもきっと、彼だけの力じゃなくて。
空間がそうさせてたり。空気っていうのかな。。
演技で感じさせるだけでなく、
話の流れやそこの空気の感じが心情をいつのまにか語っている。。
たぶん、ビデオで観てもそういうのって感じられないと思う。
もしくは、圧倒的に感じられるものが少なくなるはず。


よくよく考えたら、演技にリアリティがあっても話そのものは
決して日常ではないんだよねぇ。
だってお笑い芸人をやってる人の話だし、1時間半ずっと屋上だし、
「効果的な演出」のひとつと感じた「ノート(観ないとわからないね…ごめんなさい!)」なんて、
普段わたしたちが想像する「ノート」とくらべて意味をもちすぎているし。
けど・・・。
ありそう!
いや、絶対にあるよ、こういう話!
絶対にある。

共感できるんだ。たぶん、多くの人が。
主人公と同じ設定で、同じ思いをしてる人は少ないだろうけど、
いい~っぱい共感できるところがある。
兄弟のこととか、親のこととか、社会的制約とか、夢とか、模索とか。
けど誰もがひっかかるようにキーワードをたくさん入れてるだけの映画なんかもあるみたいだけど
決してそういうんじゃなくて。

あとすっごく稽古を重ねてきた感じがした。
間はたくさんあるのに(これ好きだった)、余地はないんだよね。。
芝居のテンションが下がったり、そういうことで私たちが素に戻っちゃう余地がない。

1時間半、二人芝居、役者の集中力ってものスゴイですな。



2006/06/26//Mon * 19:14
●○楽々ひゃくまんかい生きたねこ

構想に2年というだけあって、とてもしっかりした構成になっていた。
場面が切り替わるところもはっきりしていてよかった。
個人的に手話に興味があるので、ますますそう思うのかもしれないけれども、
こうした手話と演劇のコラボはどんどんやっていってほしいと思う。
実際に、今の時代に必要なこと。

お客さんも、耳の聞こえない人から車椅子の人、お年寄り、小さな子供、若者・・。
いろんな人が集まっていた。とても、素敵なことだとおもう。

基本的には、明るく楽しい舞台。でも、それだけじゃない。感動もある。
広く受けいれられる内容だし、福祉センターで上演されるにぴったりの作品だと感じた。

ただ何度か舞台のテンションが下がった瞬間については、気になった。
そういう部分がすこしでも見えちゃうと観ているこっちも途切れるから。
あとは順調だったと思う。とくに後半は、せつないようなしんみりとした空気になるけれども、
そこも自然に入っていった感じだった。

知っている人や友達が出ていたから、そこから受ける印象が大きかった。



2006/06/26//Mon * 19:09
●○BARBER ORCHESTRA(劇団無限蒸気社)

“この舞台はエンターテイメント寄りではなく、アート寄り”なのだと、
劇団員自らが言っていた。そして、その通りの舞台だった。
演劇というと、きちんとストーリー展開がなされていて、人物においても、
その人物像がはっきりと観客に提示されているものしか、わたしは観たことがなかった。
だから、この舞台は、わたしに新しい演劇というイメージを与えてくれた、とてもありがたい
舞台になった。

正直に言えば、意味がわからないところが何箇所もあった。
しかし、この舞台全体がひとつの意味なのだと感じた。観ていると、詩的な感覚を刺激された。
そう、この舞台そのものが、まるで詩のようだと感じたのだ。
しかし、そうして自分の中の感覚的なところで観ながらも、観終えたあと、“頭”の働く不思議な舞台だった。
それは、きっと軸となっているストーリーがしっかりあるからだ。
舞台上では、ばらばらにされたりねじられたりして存在している“軸”だ。
だから頭で考えていくと、初めて目に入ったときには不可解だった役者の行動が
理解できたり、いったい誰なのか分からなかった役が少しみえてきたりする。
少しずつ紐解くように考えていくと。もちろん、それは間違った解釈なのかもしれない。
『正解』はまだ見つかっていないかもしれない。けれど解釈していくのが楽しい。
詩のような舞台を、五感で感じて、あとから紐解く・・。
そういった作業が、わたしは好きだな、と感じた。



2006/06/26//Mon * 19:08
●○触光 -SHOKKO-

 田舎の、小さな劇場で行われたこの公演。
それは「空を食む」「水を巡る」「形を抱える」の3部からなった。
正直に言うと、私にとってそれらはあまり刺激的ではなかった。
しかし、こんな田舎でも、こうして独自の世界を生み、育んでいる人がいるのだということを感じさせた。
今回NYから来たというボブ・エイセンは茶目っ気たっぷりのダンサーだった。
彼は、舞台の上で時間を過ごせば過ごすほど、魅力的に見えた。
ソロの後半、そして一色氏と絡んで以降は更に、彼は自分の世界へ深く入り込んでいったような気がした。
それはすさまじい集中力のように思えた。まるで観客がいるということさえ忘れたようにも見えた。
一色氏においても、第1部の「空を食む」よりも、2部以降のほうがより強い世界観をかもし出していた。
とくに3部の「形を抱える」では、ある程度制限されている中での動きというものが、
より彼女の魅力を引き出していたように思う。

 しかし全体を通して感じたのが、どことない“古さ”である。
出演者3名とも、年齢はかなりのはずだが、やはりそれも関係があるのだろうか。
踊りだけでなく、現代美術においてもそうだった。
瓶の置き方、一つの種類の瓶が占める割合などから、なんとなく古臭さを感じてしまった。
また衣装や現代美術師の立ち振る舞い方については、もう少し考えを練ることはできなかったのだろうか。
それも含め、第1部の「空を食む」においては、踊りも他の作品より形式的な、
単純に典型的なものだったことで、少し飽き飽きさせられてしまった。
ただこの古さが悪いとは思っていない。これが一色氏の世界であり、表現であるのだから。




2006/06/26//Mon * 19:07
●○リバーダンス the show

皆が一列になって、その列を決して乱すことなく、
ステップを踏むのはすごくきれいだった!
バレエでいう群舞のようだった。
ただあまりに揃いすぎて、完成しすぎていたせいか眠くなったりした・・
フラメンコとの融合は新鮮で、見応えがあった。
間近で観たかったなー。



2006/06/26//Mon * 19:04
●○父と暮らせば(く☆す)

作家井上ひさし氏の原作で演じられた芝居。
一言でいえば、完璧な舞台だったと思う。地元に、こんなに実力のある役者がいたのかと
ビックリさせられた。話の展開に欠かせない「原爆」というキーワードを、残念ながら
身近に感じることができず、主人公の気持ちに感情移入することは難しかった。
しかし、狭い部屋の中で2人で行うという、ごまかせない芝居を見事に演じきった彼らはすごい。
終わり方も良かった。
話が中盤に入ってダラダラしてきているのにもかかわらず、なかなか終わらない芝居もある。
でもこれはそうではなかった。話は完結していないくらいがちょうどいいのかもしれない、
上演時間も長すぎず、見終えた後もスッキリした。
演技のとちゅう、観客のなかからすすり泣く声が聞こえた。一人ではない。
私はそんな風な泣き方はできなかった。ただ、ある瞬間、役者の迫力に涙がじわりときた。



2006/06/26//Mon * 19:03
●○少女帝都(劇団イリュージョン)

出演者が皆一生懸命なのは伝わってきたが、課題の残る舞台だったと思う。
戦う少女たちというのが大きな流れをつくっていたが、
その少女たちの格闘シーンにいまいち迫力が感じられない。
苦しんだり、喜んでいるシーンも、「演じています」という印象で、
惹きこまれるとまではいかなかった。
また、登場人物が多すぎてわかりづらい面もあった。
確かに愉快なキャラクターかもしれないが、その人物を出したがために
ストーリーをより分りづらくさせてしまってはいないか?ということを
もっと考えたほうが良かったかもしれない。
生身の人間と、人造人間やロボットとの区別もあいまいだった。
また、時は西暦2500年で、お年寄りが一人もいない世の中ということだ。
長生きということを知らない少女たちが、なぜ長生きに憧れるのか、分からない。



2006/06/26//Mon * 19:01
●○17歳のポケット

17歳のポケット 17歳のポケット
山田 かまち (1993/06)
集英社

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山田かまちの詩を読むと、どうしてこんなに自分を直視して書くことができるのだろうと、
うらやましくなる。まるですべてを吐き出している。
詩は、感じないことを書くことはできないけれど、感じることを書かないでいることはできる。
もちろん言葉ですべてを表現することはできないから、
そういった意味ではかけない事もあっただろうげれど、
でもかまちは、感じることで言葉にできることはすべて書いているのではないかと思う。
自分から、「書かない」としたことって、ないのではないだろうか・・。
あるいは、あったとしても、少なくともそれは「自分を守るために」ではないのだと思う。
傷つくことをも表現にしてきたかまちだが、傲慢になったり、ずるくなったり、
そうした自分の汚点さえもさらけ出している。そこがうらやましい。比べれば私は弱虫だ。

 詩をたくさん書いていると、時々、「いい詩がかきたい」という思いにかられる。
人の心にも、自分の心にも残るようなものが書きたくなってくる。
けれどもいい詩は書こうと思って書くものではないかもしれない。
そして、かまちの詩は、知らず知らずのうちにとても「真理」を言い当てているのではないかと思う。



2006/06/26//Mon * 19:00
●○すみれの花の砂糖づけ

すみれの花の砂糖づけ すみれの花の砂糖づけ
江國 香織 (2002/11)
新潮社

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 詩集をよむのは、苦手なほうなのだが、この本はとても読みやすかった。
表現もおしゃれで、お気に入りの一冊だ。
 彼女のような恋愛をしたい。結婚しても、満たされることのないような。
幸せになりきることのないような。



2006/06/26//Mon * 18:57
●○ふたり

ふたり ふたり
唐沢 寿明 (1996/04)
幻冬舎

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映画『ラヂオの時間』を観て彼の演技に感服した私は、古本屋で見つけたそれを迷うことなく手に取った。
文章というのは飾りっ気のないもので、一次元の世界である。
誰かが書いた本を読むことは、彼の脳内を冒険しているようで楽しい。
とりわけエッセイは、「彼」に対する興味をほどよく満たしてくれる。

しかしながら、この『ふたり』はいくらかの意味で小説のようでもあった。
どこからどう見てもエッセイじゃないかと人は言うかもしれないが、
不思議なことにそれは私に小説のような波動を感じさせた。

まず表装だ。筆者の名を知らなければ、いや知っていたとしても、
それはおとなしい小説のような印象を与える仕上がりになっている。
次に人はページをパラパラとめくってみるだろう。
すると活字の調子も、なんとなく文章の感じも、やはりそれっぽい。
目次を見るまで、これが俳優のエッセイ本だという実感は湧かない。

しかも不思議なことに、すべてを読み終えた今でもこの本は私に小説感を与えたままなのである。
中身は確かにエッセイであった。経験談、ドキュメンタリーであった。
しかし、今まで読んだことのあるエッセイ本とはどこか違う。
それはその体験談が、まるで小説を読んでいるかのように、流れに沿って書かれているからである。
このエッセイは、「おれ」という主人公の、リアルな物語なのだ。

内容に関して言えば、ここでは書ききれないほど感銘を受けた。
言葉にすると軽くなってしまいそうで心配だが、
それだけの経験をしたからこそあれほどの演技ができるのかもしれない。



2006/06/26//Mon * 18:56
●○Something special

Something special Something special
菊川 怜 (2002/09)
河出書房新社

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菊川怜が、けっこう好きなんです。
変に落ち着こうとしていないところが。

でエッセイ読んで、こんなに明るい人なのか!って驚いた。
大学卒業と同時に、初めての映画撮影があって、しかも主演でしかも洋画でしかもアクションで。
なのに「プレッシャーがない」とか、「やりたい放題にやっちゃおう!」とか、
ちょっと信じられないほど。「怖いもの知らずで」って言っているけど、本当にその通りかも。
だって普通そんなの怖いでしょ。かなり自分とはかけ離れていて、私は絶対そんな性格には
生まれ変わらない限りなれないから、余計に好感を抱くのだろう。
現地の役者や監督にも、自分からどんどん話しかけることができるっていうのも、凄い。
「単語がぜんぜん出てこない」とか、「文法はメチャクチャ」、「専門用語がわからない」だなんて言いながら、
「結局、“知りたい欲”が勝つ」っていうことが彼女の成長につながっている。
うらやましい・・。自分に重ねて考えてみれば、どうしても一歩踏み出せない自分がいる。
聞きたいことはたくさんあるのに、分かってもらえなかったらどうしよう、とか
うまく言えなさそうだなぁ、とか、喋りはじめる前にあれこれ考えてしまう。“知りたい欲”は負けるの。
だから、今まで何度か後悔してきた。彼女のように、考えるより前にとにかく言ってみよう!って
いうの、羨ましいなぁ。まあ自分とは比べものにならないくらい実力が伴っていることも、
前向きさにつながっているのだろうけれど。
ただ度胸があるっていうよりも、気負いがないのだろうと思う、きっと。
わたしは気負ってしまいがちだから、もっと度胸(と実力)をつけなければこの問題は解決しないのだ。

この本は、“英語的エッセイ”っていうことで、いろんなところに英語が出てくる。
わたしもそれを発音してみながら、「うわっ、(春休みだから)何ヶ月ぶりに英語読んだんだろう、鈍ってる・・」とか
「やっぱ喋れたらいいなぁ~」とか言いながら、いろいろ楽しんでいた。

それから、ちょっとイタリアって国に興味をもった。



2006/06/26//Mon * 18:54
●○石に泳ぐ魚

石に泳ぐ魚 石に泳ぐ魚
柳 美里 (2005/09)
新潮社

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 まず、タイトルが好きだ。自分もやりそうな表現だなぁと苦笑した。
これを読むかぎり、彼女はこれまで様々な生きぐるしい環境におかれてきたようだ。
また、洞察力にすぐれ、精神的にも繊細であるがゆえに余計、
人一倍苦労をしてきたのではないか。彼女は、作家という職業に就いて救われている、と感じた。
それから、一見非常に冷静で、冷酷なようにさえ見えるのだけれども、
彼女には、友達がつらい時にそばにいてあげたりするという自然な優しさも備わっているのだと思った。
 ところで、このエッセイの読みはじめのころは、
自分とあまりにも違うので「変わった人だなぁ~」と思っていたが、
一晩寝たあと続きから読んでも、こんどはまったくそのような違和感は感じられなかった。
なぜだろう?



2006/06/26//Mon * 18:52
●○初恋ロケット

初恋ロケット 初恋ロケット
タアモ (2005/05/26)
小学館

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感性のステキな漫画。
こういう漫画が描けたらなぁ・・。
たぶん、ストーリーだけ作れたとしてもそれに似合う絵は描けないだろうし、
逆に絵だけ描けてもこんなステキなストーリーの中でキャラクタを動かすなんてできない。
絵とお話とがすごーくマッチしていて、天性の感性ってやつを感じます。
ファンタジーだから、じゃあ主人公が純粋無垢なのかっていうとそうじゃない。
普通にムカついたりしてるしウソついたりひがんだりもしている。
だからリアルなのかも。
実際ありえないような話なのに、「あるある!」って言いたくなるストーリー。
ありえないのに、ありそう。つくり話なのに、ウソくさくない。
作者の心の中に実際ある自然な情景をみている気がする。
ほんとはすごく作りこまれていたとしても、
無理してる感がないから素直に読めるのかな。




2006/06/26//Mon * 18:50
●○ライジング!

ライジング! (7) ライジング! (7)
氷室 冴子、藤田 和子 他 (2000/05)
小学館

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ただダンスが好きだった主人公が、いつのまにか演劇やミュージカルにも熱をいれていく様子が自然に描かれていて、
読んでいるほうも気がつくと夢中になっている。
どのキャラクターも、人間性がリアルに表現されていて、
漫画の中で動かされているキャラクターとはとても思えない。
ストーリーもしっかりしていて、あやふや感がない。
また主人公がとても魅力的で、パワフルな面と弱い面の両方が描かれているせいか、
向上しようとするその姿にも共感することができた。
特に舞台に立っている主人公の姿は非常にいきいきとしていて、あんなふうになりたいと憧れさえ抱かせる。
とにかく読んでいて楽しい作品だ。



2006/06/26//Mon * 18:48
●○ピーチガール

ピーチガール (1) ピーチガール (1)
上田 美和 (1998/01)
講談社
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カイリがかっこいい。
主人公のももは、たくさんつらい目に合うんだけど、いつも誰かから大切に想われているから、
幸せな存在だ。でも、愛されているのに愛せなかったり、
愛しているのにそれを言ってはいけなかったりして、
彼女が一人ぼっちになってしまう時には泣けた。 
また、ももを想うユージ(だっけ?)の姿によせて、いくら想っても叶わないって、つらいなぁ~。
ももも、わかっているのに愛せないのはつらい。
仕方のないことっていうのが恋愛には存在するのかな。にしても、カイリはかっこいい。




2006/06/26//Mon * 18:45
●○ONE~愛になりたい~

One―愛になりたい (1) One―愛になりたい (1)
宮川 匡代 (1987/02)
集英社

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すごく切なくなる。さちよが泣くたびにもらい泣きしてました。
いくつ悲しいことを経験したら幸せがやってくるんだろうっていうぐらい
さちよはたくさん泣く。
ほしいのはたったひとつのものなのにね~。
ちょっとした、拓海くんとすごす幸せな時間も、
こっちまでドキドキが伝わってくるくらい、描写がうまいです。
だいぶ昔の作品だけど、いまの恋愛感にも通じるかな?
通じると思っているんですが。恋愛漫画の名作。



2006/06/26//Mon * 18:43
●○夏と花火と私の死体


夏と花火と私の死体 夏と花火と私の死体
乙一 (2000/05)
集英社

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死体が一人称というのはとても面白い。
・・と、どこでも述べられているような感想で申し訳ないが、
やはりそこが面白い。

しかもこの少女は9歳であるが、死体となってはもはやただの9歳児ではない。
驚くほど冷静な目を持ち合わせ、
死後まわりで繰り広げられるやりとりを見つめつづける。
いかにも子供らしく高揚することはほとんどなく、
その感受性もまるで一度人生を謳歌しきったような大人びたものである。

死体となってからの一人称はもはや単なる「私」ではなく、
物語の語り手としての役割をもはらむ。
しかし、すべてを知りすぎているというわけでもない。
最も大事な部分は語られすぎない。
そのため最後のドンデン返しは、とても効果的だった。

しかしこの物語、そのドンデン返しにしても、他の演出にしても、
突拍子もなく起こるというわけではない。
かならず前の部分にそれを示唆する部分があるのだ。
まったく、演出に長けている。

仕掛けておいたコマは、かならず後で威力を発揮する。
そんなすばらしい構成であるが、
筆者自身はのちにインタビューでこれらのことを否定している。
それをここで語ると長くなるので、やめておこう。


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