山田かまちの詩を読むと、どうしてこんなに自分を直視して書くことができるのだろうと、
うらやましくなる。まるですべてを吐き出している。
詩は、感じないことを書くことはできないけれど、感じることを書かないでいることはできる。
もちろん言葉ですべてを表現することはできないから、
そういった意味ではかけない事もあっただろうげれど、
でもかまちは、感じることで言葉にできることはすべて書いているのではないかと思う。
自分から、「書かない」としたことって、ないのではないだろうか・・。
あるいは、あったとしても、少なくともそれは「自分を守るために」ではないのだと思う。
傷つくことをも表現にしてきたかまちだが、傲慢になったり、ずるくなったり、
そうした自分の汚点さえもさらけ出している。そこがうらやましい。比べれば私は弱虫だ。
詩をたくさん書いていると、時々、「いい詩がかきたい」という思いにかられる。
人の心にも、自分の心にも残るようなものが書きたくなってくる。
けれどもいい詩は書こうと思って書くものではないかもしれない。
そして、かまちの詩は、知らず知らずのうちにとても「真理」を言い当てているのではないかと思う。





