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2018/02/03//Sat * 23:16
●○感電しましょ そうしましょ(yummydance)

前半は小波がいくつも、後半は大波…いや嵐でした。笑
吹き荒れてました。

息を飲むスタート。自分、いつもどうやって呼吸してたっけ?ってわかんなくなるほどの静寂の中、次の発生を待ちます。

はじめの小波は「あー、こうやって創っていくの、楽しそう!」っていうワクワク感。こうしたら面白いんじゃない?あー、いいね!なんて言い合いながら創るのかなぁ、いいなぁ、面白い。

もひとつ小波が。
何かの動作をきっかけに「yummydanceだ!」と
ああ、変わってない。ヤミーダンスだ。10年前と変わってない、ヤミーダンスだ!私ヤミーダンス観てるんだ!ここで。神戸で。関西で!
と幸せを感じ、まだまだ穏やかな流れにゆったりと身を預けていた。

4人はそれぞれ分子のようで ふつふつと浮き上がっては沈んだり 結束したり干渉したり 形を変えたり…

舞台の下に1人のメンバーが降りてきた瞬間だけ少し温度が下がってしまった気がしたけれど、わくわくは止まらなかった。

面白いけれど穏やかで
この感じのまま終わるのかな?と思った。それもいい。

前回観たのは社会人になってすぐの「踊りに行くぜ」で、そのときはもっと衝撃を求めていた。若かったなぁ、私も歳とったなぁ、、、穏やかでいいなんて。
そう、確かあのときはメンバーが5人だった時代で、たまたま1人お休みされていて、どこか5分の4に感じていたんだ。
でも今回はちがう。4人のメンバーですっかり満ちている。物足りなさもない。満足だ。

ゆるやかな波に身を任せていたから、死にましょ。の表現で既に少し揺さぶられた。
子ども産んで、「これ、子どもにわかるかな?子どもに有害な表現はないかな?子どもが真似しちゃ困ることしてないかな?」って無意識に考えていた。きっと常に。
死にましょごっこはその殻をつつき、疑問を投じるものだった。

自分の中にあるものとリンクしはじめたのは街頭演説から。社会に対してのフラストレーションなどそう持ってもないつもりだった。だけど確実に、言葉にできない感情を掴まれた。そこから舞台を「見る私」から舞台が「入ってくる」に変わってきていた。

ぐらぐらになったところで、自分の足元までがらがらと崩れ落ちる感覚があった。実際にはステージ上でトレイを持った演者がぐらぐらしているだけなのだけど、自分の足場が危うくなる感覚に襲われた。恐怖を感じた。そこで初めて舞台が自分の中に入り込んできていることに気が付いた。

ぐらぐらは少し長くて、時々また「見る私」に戻ったりもしたけれど、また入り込んで…を繰り返し そこから最後までずっと私の中にあったと思う。
舞台を観るとき、よくこの不思議な感覚になる。そしてだんだん舞台を通して自分の中に潜るような感覚になっていくのだけど、せっかく貴重なヤミーダンスの舞台、もったいないから自分じゃなくてヤミーさん観るぞ!!ってちょっと引き戻したかもしれない。

大波はその足元のぐらぐら。壊れてからはもう波ばかり!もう、どうやって創ってるのかなんて分からないくらい複雑で緻密!!

いじめに見えるシーンはよくないとか、振り付けでも強引さがないように…とか、私だったらストッパーをかけていたような動きがこれでもかと繰り返される。
私だけじゃない、社会全体がストッパーをかけている。危険予知をし、環境を整え、優しく守る。

けれどその結果、社会は本当に優しくなっている?寧ろますます危険に 冷たいものになっているのでは……?

暴力的とも思えるシーン、これは社会への問いかけや反発を表しているのだろうか…と考えはじめたところで、浅はかな解釈をすることほどもったいないことはないと思い直し、考えるのはやめた。

ただ私たちが普段
良くあろうとする 建前と
実際の泥まみれの社会との間に
大きな矛盾があることは知ってしまった。

心にグイグイ食い込んでくる、あばらを叩いてくるようなヤミーダンスの舞台を観て、(私がはじめて観てから)10年以上も経つのにその攻める姿勢が変わっていない(寧ろ激しくなっているような…笑)ことに驚いた。

単純に10年経てば10歳年をとるのは当然で、歳を重ねるほど曖昧になる部分が大きくなる。たいていの人は。普段のやり取りだって誤魔化せるようになるし、表現だって守りに入ったり、激しさとは別のやり方にシフトチェンジすることもある。

もちろんいろんな表現方法があって然るべきだけど、ヤミーダンスがヤミーダンスのままであることに奇跡を感じた。
変わらない、というのは進化していない、という意味ではない。初めて観たときから、ヤミーダンスはヤミーダンスで、今日もやっぱりヤミーダンスだった。
誰かが そろそろ方向性変えようよ、と言い始めてもおかしくないし、だんだんと曖昧になっていってもおかしくない年月が経っているのに、隅々までヤミーダンスなんだもん。変わらないって凄い。

あばらを叩かれるのは結構な衝撃だけど、叩くほうが絶対的に疲れると思う。いや叩いてる意識はないのかもしれない、ただただ自分と向き合って、瞬間瞬間まで詰めていく感覚なのかもしれない、どちらにしても身を心を消耗させないと生み出せない作品。
それをずっとやり続けていることに震えた。

ハードな面ばっかり語ってしまったけど、面白さはもちろん健在!

いつの間にか共鳴してる、いつの間にか関係してる、いつの間にか続いてる。。。ヤミーダンスの舞台のいろんなところで見られる「いつの間にか」がすごく好き。あー!これだーっ!ってまた大波が来たとき、ずっと忘れていたはずの、初めて観たヤミーさんの公演のタイトルを突然思い出したの。「もももってきてちょうだい、だ!」って。パンフレットに描かれた絵も思い出した。ずっと忘れてたのにさ。

ヤミーさんの舞台を観て、自分の中のどこかのなにかとリンクする感覚を味わえるって、私幸せだな………

地元の小学生たちもリハを見学したらしくって、今日も小さい子もいた。私も、子どもにも見せたい!って思った。でも絶対うちの子、声だして笑うわ…ってトコ何ヵ所もあって。静かにできそうにないから無理ねwって思ってたら、メンバーのみゆきさんが「笑ってもいい!笑ってほしいんよ!」って仰り。……そうか、演者が解き放ってるんだから こっちも解き放って感じるままでいいのか!って帰り道で気がつきました。

保育園や小学校や子ども向けのチャンネルではあり得ないような作品。そう…説明しなくていい、感じるままでいいものって本当に少ない。だからこそ見せたい!
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